寺島牧場の歴史
株式会社寺島牧場の始まりは、平成13年に社長の実父が病気を患ったことからになります。もともと家業を継ぐ意思はなく20年以上も会社員をしていた社長が、人生の決断をしたことが現在に至ります。当初は母親と2人で、1頭ずつ牛を柵の中に囲い、人間が搾乳機を持ち移動するという30頭の繋ぎ牛舎でした。その効率の悪さに、将来の展望に、危機感感じ大規模経営を計画したのは平成17年、翌年の6月には、フリーバーン牛舎、パーラー室を建設し70頭搾乳がスタートしました。
大切なコト
フリーバーン牛舎とは、牛を広い柵の中に牛群ごとに放し飼いにし、餌や水のみなど自由に移動することができ、ストレスをなるべく少なくする牛舎です。現在、牛の状態毎に七つの牛群にわけています。搾乳時間になると、パーラー室に牛を移動します。パーラー室では1頭ずつ搾乳できるミルカーが左右に6台ついており、1度に12頭の搾乳ができます。現在、朝、昼、晩の3回搾乳をこの施設で行っています。搾乳に必要な人数は朝と昼は、最低3人、夜は2人です。夜は、分娩前後と分娩直後の牛群は搾乳しないため、人数を減らして対応しています。
平成25年に牛に1頭ずつパソコンと連動する、万歩計をつけました。これにより、個体の日々の乳量、繁殖時期、体調の変化などがわかります。牛に牛乳を出してもらうためには、バランスの良い食事を与え、ストレスを緩和し、発情時期を逃さず人工受精をし1年ずつきちんとお産させることが大事です。万歩計は重要な役割をしています。しかし、作業の中に”気づき”がないとただの記録になってしまいます。
未来に向かって
平成24年に念願であった、法人化も果たし、70頭だった牛は300頭になり従業員も増え、一気に活気づいてきました。
パソコン管理、電動洗浄機など、現在の酪農は以前と比べると機械化されました。これにより作業自体の負担は軽減されていますが、それを操作するのは人であり、いかに牛を愛し、観察力のある人材を育てるかは私共の課題です。
冒頭にも触れましたが、我々がもとから、最初から酪農のエキスパートであったわけではありません。ですので誰でも気持ち一つで、変われると思います。もっと広く酪農業への興味関心を広げていきたいと思っております。